5月の私

2015年5月は公私共に大変だった記録その2 ばーちゃん編。
いつも通りの奇跡。

背中が痛いと言い出したのが4月下旬。
心当たりは姪っこ。姉の復職以降、うちにいる時間が長くなった。
かかりつけの内科で相談して、痛み止めを処方。

痛みが左脇に拡散して、整形外科を受診したのが5月初旬。
骨密度が低い、肋にヒビが入ってるかもとの診断。
痛み止めにカルシウムとビタミンD、コルセットも追加。

ばーちゃん「痛いんやけど治るんかな」
弟「痛み止めは3時間で切れるから痛むのはしゃーないで」

不安にならなくていいと弟は言いたかったんだろう。だけど。
薬を本人に渡してしまったのも、翌日からあまり痛みを訴えなくなって
少し安心したのも家族として慢心だった。
夜間も含め、3時間ごとに痛み止めを服用していたらしい。
1週間後受診した整形外科で「よく血を吐かへんかったね」と言われた。

5月15日金曜日。お腹が痛い、食欲がでないとも。
痛み止めが原因と告げて、ようやく服用をやめる。

5月16日 土曜日。寝てくると言ったばーちゃん。
家電にかかってきた無言電話がSOSだとおかんが勘付いて、
激痛に脂汗流して震えながら、それでも病院は嫌だと言うばーちゃんに
「救急車か俺の車かどっちや」と弟が迫った。

弟の車で向かった病院での診断は腹膜炎。
緊急手術が必要と判断されて、さらに別の病院へ救急搬送。
計らずして本人の希望通り、近所の人に救急車を見られずに済んだ。

85歳で手術に耐えられるのか、それでも手術するのかと訊いた母に
そのままにしておけば死ぬのなら手術しますと医師が言った。
救命率は30%。母も弟も大号泣の大愁嘆場。

だったそうだ。
寝てました。週5日めいっぱい残業した土日で体力的に限界でした。
おかんがばーちゃん病院に連れていくと伝えにきた時に、
朦朧した意識で、かろうじて薬一式持ってけと告げたくらい。
最後に見たばーちゃんは昼頃、横になってる姿。
この日、おかんと弟がいて本当によかった。
寝てるならそっとしとこうと思った自分をどこまでも悔いてたと思う。

17時頃起きて、人の気配がなく散らかったままの台所に改めて緊急事態を認識。
とりあえず出来ることやっとこうと適当に夕飯を済ませて台所片付け、風呂。
風呂から上がって携帯を見れば、10分おきに弟からの着信履歴。
ここでようやく事態を把握。
21時前、手術中に一時帰宅した母と弟と共に病院へ。

22時過ぎ、無事手術終了。麻酔で意識ないかと思ったらしっかり起きてた。
医師によると十二指腸に穴が開いての穿孔性腹膜炎。
3日~1週間位は敗血症が油断ならないとのこと。
どうか緊急連絡が着ませんように祈りながら帰宅。

5月17日 日曜日、手術翌日。朝はICU、夕方は一般病棟への個室へ移動。
感染症リスク言ってたのに、もうICU出ていいのかな。
仰向けだと痛いと言っていた背中は大丈夫だろうか。

5月19日 火曜日、術後3日目。
火曜の午前半休取って見舞い行ったらベッドに腰掛けてた。
ベッド横のポータブルで移乗介助有りだけどトイレも自分でしてるとの事。
85歳の回復力すごい。受け答えも今のところしっかり。
感染症におびえる3日間が今日で終わるけど、まだ先は長い。
入院期間に認知面・体力面がどれだけ低下するか。
白内障が悪化したのか視界がぼやけるらしいのも心配。

5月23日土曜日、術後7日目。
見舞い行ったらベッドにいなくて、個室の水回りで鏡見ながら髪梳いてた。
なにしとん。点滴コロコロしながら歩いて行けるらしい。
回復順調な一方で、可愛くないことも言う。もう来んでいいとか服処分してとか。
そんなん言っても部屋にあったリハビリ記録だって、目標全項目自立だし。
また明日来るから。

5月24日 日曜日、術後8日目にしておかんダウン。
ばーちゃんがやってた分の家事と朝夕2回の見舞いと心労。
張り切りすぎやねん。寝とき。
夕方の見舞いを頼んだ弟から朗報。明日からご飯が出るらしい。
おし、こっちもご飯だ。まずは米を洗う、
よりも先に「米 炊き方」でググりました。

米炊いて、洗濯物取り込んで、ハムスターとセキセイさんにもご飯あげて、
コーヒー作った。コーヒーちょっと苦くなったけど、
どうせ大半飲むのオッサンだしいいや。オッサンちょっとは動け。
目に付くところ片っ端からおかん代理妖精さんのお仕事。
気になってちょいちょい起きてきたけど「ごめんなありがとう」言って
布団に戻ってったので、そこそこ先回りはできてたらしい。
いいから寝とき。どうせ週末しか出来ないから。お願い寝てて。

5月25日 月曜日。就寝前の食洗機と翌朝のゴミ出しは先回り失敗。
弁当も準備出来てた。いいって言ったのに。あるならありがたく詰める。
まだしんどそうだけど仕事も休めない。なるべく寝るように言い残して出社。
夕方にだいぶ回復したとメール来て一安心。

5月28日 木曜日、術後10日目。午前半休で見舞い。
ちょうど朝ご飯中。思ったより量が多い。
刻み食で嚥下障害あるのかと心配したけど、消化にいいようにとの事。納得。
来週に退院出来るらしい。じゃあ明々後日の日曜で。
今週とか気のせい。1日でも早くばーちゃんと家に帰りたい。

5月30日 土曜日、術後2週間。
担当医師から退院について説明を聞く。
気掛かりだった体力・認知の低下もほとんどなく、食事とか運動の制限も特段なし。
無理と我慢はしすぎないようにとの事。
ばーちゃんがいない家も今日で最後。

5月31日 日曜日。術後15日目にして退院。
お休みのはずの医師が見にきてくれた。本当にありがとうございました。
さあ帰ろう。の前にスーパーで買い物。ついで珍しく外食でお昼ご飯。
帰宅して、やっと1人で入れると風呂へ。
買い物も外食も風呂も一通り心配したけど、何ともなく。

6月2日、退院後2日目。珍しく早く上がれて20時前に帰宅。
ご飯食べながらばーちゃんと話す。久々のいつも通りが幸せ。
22時近くに引き篭もりのオヤジしかいない真っ暗な家に帰って
風呂入ったら寝る生活はやっぱ悲しかった。

以降、痩せたなあ体力落ちたなあと思う事はあれど、
認知症や日常動作の介助もなく、家事と無茶も復活。
おかんがいない時を狙って脚立乗ってカーテン変えるとかやめてね。
手術、敗血症、廃用性症候群と、生死から介護まで
崖っぷちを沢山通り過ぎて奇跡的にいつも通りです。

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